Dec 21, 2010
魅力的な永久脱毛について
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大河原町では12日から女性職員、主婦、中高生、ボランティアらが避難所の住民に配る夜食おにぎりの炊き出しに取り組んでいる。同町には15カ所の避難所があり、約1700人が避難している。1回の炊き出しで握るおにぎりは約1800個。14日までに計約5400個を握った。
町では、朝と昼用にはパン、バナナ、みかんも配布。【豊田英夫】
3月15日朝刊
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仙台市災害対策本部は14日、市内で深刻な交通渋滞が発生し、避難所への食料や毛布などの物資輸送に大きな影響が出ていると発表した。市は緊急以外の自動車利用を自粛するよう呼びかけている。
同市によると、他県から多くの物資が寄せられており、各避難所に分配されるが、渋滞で円滑に輸送できない状況が続いている。市は「1、2日後の食料が運搬できないところもある」と話している。【垂水友里香】
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東北から関東地方の太平洋岸一帯を襲った東日本大震災の大津波は、県内の海岸部に甚大な被害をもたらした。物流拠点の仙台港は壊滅的なダメージを受け、七ケ浜町の海辺も無残な姿に変わり果てた。海岸部では所在不明者がなお多数おり、仙台市の奥山恵美子市長は小学生54人が行方不明になっていると明らかにした。避難所には食料や毛布、薬などの必要物資が届いていない。ライフラインの復旧も進まず、被災者の生活は厳しさを増している。
県の物流拠点・仙台港にも東日本大震災による大津波が直撃した。物流会社や工場は甚大な被害を受け、大型トラックが流された。港は壊滅的とみられ、物流機能を失った都市のダメージは大きい。会社の屋上に逃れ、自然が猛威を振るう様子を目の当たりにし、余震と津波警報が鳴り響く一夜を過ごした被災者は「生き地獄だった。映画の世界が現実になった」と振り返る。
港に近い物流会社「ロジスティクス・ネットワーク」(同市宮城野区港3)の仙台物流センター。主に冷凍冷蔵の食品を配送し、大地震発生時は社員ら約100人がセンター内で勤務していた。
大きな揺れの後、同社の遠藤貴紀さん(32)は屋上に逃れた。同社社員だけでなく、周囲の会社に勤める人々も避難し、屋上には計120〜130人が集まったという。
間もなく大津波が襲った。波は岸壁を軽々と越え、港から遠ざかろうしていた走行中の車を容赦なくのみ込み、引く時はたくさんの車を沖に連れ去った。電柱は軒並み倒された。大津波が猛威を振るった後、レンタカー会社の倉庫などから次々と火が上がったという。「映画の世界をリアルで見た」と話す遠藤さんは当時の心境をこう話した。「人って簡単に死ぬのか」。
120〜130人の避難者は大津波を免れた4階で一夜を明かした。厳しい冷え込みが襲い、雪が舞った。暖を取れるのは保冷用シートだけ。寒さがじわじわと体をむしばむ。余震と津波警報が収まらない時間を過ごしていると、次第に恐怖心は「マヒしていった」という。
長かった一夜が明けた12日早朝、避難者は自宅を目指した。通勤路はがれきで埋まっており、大勢の人が港沿いの道を歩いた。遠藤さんも仙台市泉区の自宅まで帰宅。家族は、信じられないという表情で迎えた。「生きてたのと驚かれた。死んだと思われてたみたいです」
遠藤さんは大地震から2日たった13日、穏やかな海と廃虚と化した仙台港を青い空の下で眺めてつぶやいた。「明るくなって港を見ると、ひどい」【須藤唯哉】
◇風光明媚な海辺無残、町長「負けない」−−七ケ浜
風光明媚(めいび)な海辺で知られる七ケ浜町は無残に変わり果てていた。1889(明治22)年にできた東北初の海水浴場として名高い菖蒲(しょうぶ)田浜はじめ、海辺の集落はほぼ壊滅した。
菖蒲田浜は、白砂青松の浜辺、漁村、旅館などが流され、がれきの野原と化し約200戸の集落が全滅した。
1978年の宮城県沖地震も七ケ浜で体験したという斎藤庄英さん(65)は「これほど恐ろしい体験はない。美しい町なのに人がいなくなってしまう……」と顔を曇らせた。
町名の由来である七つの浜全体で、半数近くの住宅が流失・倒壊したといい、14日現在で死者25人、約150人が行方不明で、町内27カ所の避難所には5000人が避難している。自宅が全壊したという渡辺善夫町長(68)は「県の防災計画が想定した5倍以上の被害。しかし、負けてられない」と話し、復興作業の陣頭指揮に当たった。
多賀城市は、JR仙石線南側の住宅街や工業地帯が打撃を受けた。13日までに確認された死者は12人だが、沿岸部に所在不明者が多数出ているという。
国道45号など幹線道路はがれきが散乱。遺体の収容も進んでいない。
砂押川は笠神新橋(同市桜木)近くで堤防が2カ所で決壊した。それぞれ約10メートルにわたって堤防がえぐり取られ、堤防上の遊歩道には長い亀裂ができていた。近くの住民は「避難は危機一髪だった」と青ざめた表情で話した。
同市には「古代三大史跡」の友好都市で災害協定を結んでいる奈良市から、毛布1500枚、非常食5600食などの救援物資が届き、福岡県太宰府市の支援もあるという。【渡辺豊】
3月15日朝刊
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